ちょっと様子を

 亡き人達は盆になると戻ってくるといわれているわけだが、その他の日にも還ってきたいと思うことはちょくちょくあるのではないだろうか。気になるからちょっと様子を見てきたいと思うことはあるだろうし、実際にそういう場合はふらりとこの世に還って来ているのではないか、というのが私のもっぱらの見解である。

 私の二人の祖父、すなわち父方の祖父は私が中学の時で、母方の祖父は大学の時に亡くなった。彼らが亡くなった当時も、当然、私はそれなりに彼らの死を哀悼したものだったが、それから年後、最初の子供を生んだ後、彼らの死を一層惜しく感じるようになった。私自身、彼ら双方にとっての初孫であり、随分と可愛がられた記憶がある。だから、もし初曾孫に会えたなら、どんなにか喜んだことだろう。我が子を膝に乗せながら、しばしば私はそんなことを考えずにはいられなかった。

 子供は、元気の良い男の子だった。丸々とした頬に、ふわふわの髪、笑うと糸の様に細くなる目。小さな手足をぱたぱたとよく動かし、両脇を抱いて支えてやると、懸命に踏ん張って立とうとする。ヨダレでいつも濡れている唇の間からは、白い米粒のような乳歯の前歯が二本のぞいている。こんな赤ん坊が身近に居たら、誰だって嬉しい気持ちになるに決まってる、と親馬鹿丸出しで私は思ったものだった。ましてや、それが曾孫だったら・・・。それは、二人の祖母達の曾孫に対する夢中になりっぷりを目の当たりにするにつけても容易に想像できた。本当に二人とも、もっと長生きしてくれていたらよかったのに。

 ある日のことである。私は赤ん坊の息子をあやしながら、駅のプラットフォームに置かれたベンチに座り、列車が来るのを待っていた。気持ちの良い秋晴れの日だった。隣には一人のおじいさんが座っていた。息子を見ると、ニコニコしてうんうんと頷きながら、何度もいい子だ、いい子だと誉めた。

 赤ん坊を連れて歩いていると、こういうことはよくあった。特に年を取った人達は、子供が好きなことが多かった。おばあさんたちは、くちぐちに赤ん坊を誉めそやし、赤ん坊の手を握り、ちょんちょんと頬を指でつつき、性別を尋ね、月齢を尋ねた。おじいさんたちは、もう少し控えめな態度であることが多かった。だから、ベンチで出会ったおじいさんも、そうした子供好きの一人なのだろうくらいに私は気楽に考えていた。

 しかし、列車が来ると彼は立ち上がり、私に向かって一礼すると、

「どうぞ、大事に育てて下さい。」

と最後に一言そう告げて、去っていった。

 不意を突かれた気持ちで、私は赤ん坊を抱いて列車に乗り込んだ。列車に揺られながら、私は考え込んだ。それは他人からの言葉とは思えなかった。他人から「お願い」されるには、なんだか変な内容だった。むしろ肉親からの「お願い」だった。では、一体、誰がこの子を「大事に育ててくれ」と私に頼むだろう? 

 あれは、祖父に違いない。

 息子は私の腕の中で、車窓から過ぎ去る景色を機嫌よく眺めている。その幼い顔をつくづく見やりながら、私はまあそういうこともあるかもしれないな、とかなり納得できる気分だった。祖父達だって、そりゃあこの子に会いたいに決まっている。だから、会いにきたのだ。自分の目で確かめに来たのだ。通りすがりの誰かの姿をちょっと借りて。私は割りと本気でそう思い、もうそういうことにすっかり決めてしまった。私もずっと祖父にこの子を見て欲しかったし、ちょうどよかった。

 残る問題は、それがどっちの祖父だったかということだが、ひょっとすると両方一緒にだったかもしれない。二人は知り合いだったから、そういうことも可能性としては大いにありそうだった。

 それからまた十数年が過ぎた。赤ん坊だった息子は、どんどん大きくなり、高校を卒業した。息子の卒業式に、私は着物を着た。臙脂色の付け下げに黒羽織、髪には似たような臙脂色のリボンで作った花を挿した。以前、チョコレートの箱にかかっていたリボンが綺麗だったのでとっておいたのを、ちょうど良い機会だからと髪飾りにしたのである。帯締めには、母方の祖母の形見の葡萄の形の真珠のブローチを留めた。

 式が終わると息子は友人たちを遊びに行くというので校門のところで写真を撮ってから別れた。そのまま駅に向かって私はだらだらとした坂道をゆっくりと下った。草履で坂道を下るのは結構骨であった。前へ前へと滑り落ちるので、指が鼻緒に食い込むのだ。

 そんな風に歩いていると、

「素敵ですね。上手に着て。」

風呂敷を手に提げた小柄な老女に声を掛けられた。

「あ、どうも。」

もごもごと私は口の中で呟いた。

「髪飾りともよく合って。」

それだけ言って、老女は前にある風呂屋の建物へ入って行った。

私はその後姿を見送って、数歩歩き出したところで、ふと帯締めからブローチが消えているのに気付いた。どこかで落としたのだろう、と冷静に思うのと同時に、ああ、あれは祖母だったのだ、と私はなんとはなしに悟った。

 祖母は九年前に亡くなったが、着物好きな人だった。私の着姿を見て、一言誉めたくなったのだろう。着物の色と髪飾りの色の取り合わせに目を留めるところなど、いかにもあの人らしかった。葡萄の形の真珠のブローチは、あの世とこの世の通行料として支払われるために消えたのだろうと私は推測した。あれはお気に入りのブローチだったから、少々惜しかったがおばあちゃんのためならまあ仕方がない。そもそも祖母の持ち物だったわけだし。

 そんなわけで、あの世とこの世仕切りりは、存外、薄いと私は感じているのである。死者は私達の思い出と共に在り、私達は死者の愛情と共に生きている。